こんなパソコン見たことない!

アルバイト

現場に行くまでが大変だった

 自社の不動産会社では、購入したパソコンの初期設定をしたり、ソフトをインストール、パソコンどうしをネットワークで繋ぐ、Wifi設定をする、などの作業も私がしていたので、パソコンの初期設定(キッティング)くらいなら、なんとかできるだろうと思い、キッティング専門に派遣をしている会社へ登録をした。

 この仕事は、利用者にパソコンが渡されるときには、既に初期設定が終わっていて、すぐに使える状態にするため、パソコンを入れ替えるクライアントからの注文や、パソコン納入業者からの注文で行う作業となる。
 最近では、ギガスクール構想で、学生ひとりひとりにパソコンやタブレットが渡されることから、学校からの注文というのも増えている。

 まさしく、この仕事も、そんな私立中学校が作業の舞台だった。
 集合場所は、学校の正門。
 まずは、最寄り駅から徒歩で10分ほど、既に夏の陽ざしが暑い朝。
 川沿いのなだらかな坂を上って行くと、学校の行き先を示す看板が見えてきた。
 登校時間はもう過ぎているのだろう、遅刻と思われる学生が目の前を1人通るのみ。
 看板の示す方向へ学生も速足で進んでいる。
 私も学生を追うように路地を曲がると、なんとそこには金毘羅神社を彷彿とさせる、古びた急階段が天へ向かって伸びているではないですか。
 学生たちは、毎日この階段を上っているのか!?
 私なら、学校見学に来た時点で、この学校を受験することはなかっただろう。
 
 普段、週末のゴルフ以外はほとんど運動らしい運動をしていない私は、既に駅からここまでで、多くの体力を使い果たしていたのだが、作業メンバーに入っているし、ここで断念して引き返す訳にもいかない。
 こう見えて、責任感だけは人並みにあると思っているのだから。

 
 

 一足先に階段を上って行く女子学生のスカートの裾が気になりながらも、
 「いかん、上をみたら、いかん」
 いやらしい気持ちを抑えるためではなく、あくまで、階段の残りの距離を知ることで足取りが重くなるのを避けるためだと自分に言い聞かせながら。

 やっと階段の上に到着した。
 と思いきや、さらに坂が目の前に。
 見えているのに、なかなか近づかない正門に苛立ちを覚えながらも、汗をかきかき、なんとか正門にたどり着いたのだった。

 正門には、30歳前後くらいだろうか、所在なげに佇む若者がひとり。
 ちょっと暗めで、オタクっぽいところから察するに、同じ作業員なのだろう。
 そうと決めつけ、「おはようございます!」と声を掛け、彼の反応を待った。
 声を掛けられて少し驚いたようだったが、1拍遅れて「おはようございます」と小さく挨拶が返ってきた。

 作業を行う場所と時間は間違っていないことに私は安堵した。
 なにせ、応募から業務内容の全てのやりとりはメール。
 グループリーダーが決まったのも前日だった。
 それにしても、作業員15人のうち残り13人はまだ来ていない。
 他のメンバーも、そろそろ来るかと思い、上ってきた坂の方を臨むと、高台だけに、川が流れ商店や家が川の流れに沿って立っている街を見下ろす景色は、それなりに気持ちの良いものである。
 汗が止まるくらいとは言えないが。

 しばらくすると、メンバーが集まってきて、集合時間には全員が揃った。
 ここでも、顔見知りどうしが雑談に花を咲かせていた。
 みたところ、30歳代40歳代辺りが多いようだ。
 こんなスポットの仕事をして、定職には就いていないのか?、だが、それが今の時代なのかもしれない。
 リーダーが最後に現れ、メンバー確認をすると、全員揃って校舎へ入った。
 校舎の入口で上履きに履き替えて、指定された理科実験室に入った。
 さあ、作業の始まりだ。

 はじめにリーダーから作業手順が書かれた紙が配られた。
 パソコンのLAN設定を行い、必要なソフトをインストールしていくとのこと。
 その作業を、作業員ひとりあたり30台ほど行うという。
 段ボール箱からノートパソコンを取り出し、それぞれ1台づつに個別のIDを設定、ソフトのインストールとアカウント設定を行い、キーボードを拭き上げ、パソコンの上部にIDが書かれたシールを貼って1丁あがりとのこと。
 パソコンを箱から取り出し、個別のアカウントを書かれた紙とシールを受け取って、机に持っていく。

 あれ? このノートパソコン、何かが違う。
 そう思って周りを見渡すと、他のメンバーも何やらざわめいている。
 もう一度、パソコンを見返すと、なんとキーボードに文字が貼られていない。

 なんと!キーボードって最初から文字が打ち込まれているものだと思っていたのだが、このキーボードはそうではないようだ。
 一応、ブラインドタッチはできるので大丈夫かと高をくくっていたが、パスワード設定では記号や大文字などランダムな文字列で伏字となっているため、きちんと打てているのかどうか判らない。
 とりあえず入力してから、パスワードを表示させて確認するという作業。
 そこで文字間違いをしていたら、パスワード何番目の文字が間違っているか確認して、その文字だけをめがけて修正するという作業。
 面倒くさいことこの上ない。
 自分のスマホを取り出し、キーボード配列の画面を出して作業を行うも、なかなか捗らない。
 そうこしているうちに、設定の問題なのかパソコン自体の問題なのか、作業が先に進まなくなった。

 先を行っている1人を先生に、作業が進まなくなったメンバーばかりが集まって、問題のポイントを確認して、また作業に戻る。
 その繰り返しをしていると、明らかに作業をどんどん進めているグループと、なかなか進めていないグループとに分かれてしまった。
 もちろん、(と、ふんぞり返っている場合ではないのだが)私は、遅れているグループ所属。
 それを目ざとく見つけたリーダーから、私を含めた3人が選ばれ、黒板の前に集められた。

 「君たちには、ここにある段ボールの始末と開封作業を行ってもらう」
あらら、パソコンのキッティングだと思っていたスポットバイトが、またもや段ボールの処理。(※前回の「おばちゃんからの罵詈雑言」のページをご覧ください)
 「工場での作業と一緒やん」とは言えず、「これも、このキッティングの作業を進める大切な仕事」と自分に言い聞かせて、淡々と段ボールを解体していくのでした。

 それでも、中身をいれたままの段ボール移動がない分、工場の作業よりはよっぽど楽だった。
 これなら軽作業と言っても良いレベルである。
 所属クラブは文化部。
 なにせ、肉体労働をしたといえば、40年ほど以前の遥か昔、学生時代にした土方のバイトと引っ越しのバイトくらい。
 それも、3日で音を上げ体中の筋肉がバキバキとなって、翌日は寝込んでいたというほど肉体労働には向いていない身体である。
 60歳でのバイト探しでは、はなから肉体労働は外して探している。
 もちろん雇う側も期待していない。
 一度、イベント企画会社で現場の設置や案内などの業務に応募したものの、「先方から力仕事もありますが、大丈夫ですか?」なんて心配いただいたこともあった。


 パソコンキッティング作業は、1時間の残業となって終了した。
 結局、キッティング作業を行ったのは最初の2時間程度のみ。
 その後は、段ボールの整理は作業完了をしたパソコンの箱詰めなどの雑用要員として全うしたのであった。
 それでも、その後もキッティング作業の仕事が発生した際には、声を掛けてもらえるのは、多少は役に立ったということなのだろうと、自分を慰めている。(実のところは、とりあえず登録しているメンバーに一斉にメールを送っている可能性は高いのだが・・)

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